2018年02月24日

劇場版ユーフェミア考

劇場三部作では、ユーフェミアはTV版より格段に聡明に描かれていると感じます。

20180212叛道ユーフェミア.jpg

叛道でのユーフェミアは、天然ぽいところは残しつつも、ブリタニア皇族らしい賢さと実行力を持つ皇女だった可能性があると思います。
ニーナの写真から、若い学者を発掘し表彰して援助するような実利を兼ねた文化活動もしていたことがうかがえるし、スザクに対する公私混同度合いも下がり、順序をすっとばして大人を混乱させることもない。リ家は武のコーネリアと、文のユーフェミアで、将来的に権勢を誇ることもできたのではないかと思います。

また、これは今回のトークショーではっきりと明言されたのでやっとすっきりしたのですが、映画では、下に枢木スザクという人間がいることをわかった上で飛び降りたとのことでした。(TV版では下にスザクがいると知らないまま飛び降りたそうです。それ、死なない?)
となると、ユーフェミアはスザクの存在を事前に知っていて、スザクのかけられた軍事法廷の在り方に意見した可能性があり、クロヴィス殺害容疑のスザクの裁判に意見したのだとすれば、クロヴィスという親しい兄を殺されたにもかかわらずその件について公正に判断するよう求めているということになります。とても理性的であり、民族差別意識が本当に無い、真に開かれた精神の持ち主である可能性が高まります。

そしてゼロを行政特区日本に受け入れるために、皇位継承権を返上しました。これはつまるところ、ナナリーのためだとユーフェミア自身が言っています。

しかし特区に放り込まれたブリタニア人であるルルーシュとナナリーが、今までブリタニア人から虐げられてきた経験をもつ日本人からどんな仕打ちを受けるか、そこまでユーフェミアが考えに至ったかはわかりません。行政特区日本は、日本人とブリタニア人が平等な権利を持つとされていますが、実質ブリタニア人にとってはそこに住むメリットがなく、圧倒的に日本人が多くなるでしょう。であれば、行政特区日本内では、ブリタニア人が日本人から酷い仕打ちを受けることは目に見えています。人は平等ではないというシャルルの言葉は一つの事実です。
行政特区成立ルートはもしかするとルルーシュとナナリーにとっての真の地獄になる危険性があったと私は思います。

映画のユーフェミアは聡明ですが、人を性善説で見る、人に希望を持っているという性質は変わっていない。スザクは、日本人とブリタニア人の間の闇を嫌というほど見てきた立場として、この人種差別が逆転して存在し続ける可能性をユーフェミアに進言すべきだったのではと私は考えます。しかし、スザクがそういったネガティブな視点や反論をユーフェミアに進言できたようには思えません。
そこがスザクとユーフェミアの限界であり、もしルルーシュが行政特区を活かす形で協力するならば、ルルーシュがその二人の限界を補完する役割を担うことになったでしょう。映画の聡明なユーフェミアなら一度聞けばわかってくれるのかもしれませんが、ルルーシュはどちらにしろ苦労する立場になっただろうなと思います。
ユーフェミアと行政特区日本は、本当に難しいです。
そして弱者の立場を知っているナナリーの思い描く行政特区日本は、具体的にどんなものだったのか、見てみたかったなと思います。
posted by nuts at 22:28| 萌えがたり